ピックアップ 走る自転車コースリポート--太田川右岸(広島市から)--編
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 ■リポート
 大田川は加計まで,ほとんど川沿いに両岸に道がのびている。
 これは帆船で運輸がおこなわれていた時代に上りに人力で岸から船を引っ張るためにつけられていると考えたくなるほど。

 今この川の水流の60%以上が電源開発のために地下をはしっている。
 この水が地表にでてくるのは下流の高瀬堰になっており,水量が今見える倍以上あれば岸まで満々と流れがある。

 そんな景色がないと船を引く道などとは想像できない。
 が,そのルートがこの紹介するコースの大元になってるとしたら自転車乗りにはありがたい。
 加計からの水運がこれほどまでに必要だったのは,加計に佐々木家というおおきな製鉄業の家があり,
 中国山地でおこなわれたタタラ製鉄に関連した物資の輸送があったことがおおきな理由かもしれない。
 加計からの大田川の両岸に道はついてないこともそんな理由だろうか。

 この川岸に今は水力発電の関係施設が多数みられるが,船をひっぱていた時代にはまたちがった景色があったって想像してみるのも。
 また戦後この川沿いにはたくさんの炭の出荷があったようで
 そんな集積地が自動車に変わるさきがけが可部までの日本で一番早いバス路線に開設になったのだろう。
 バスを走らせるってことが商売になるほどのことだったのだろう。加計線の汽車路線は三段峡の観光開発の様相がこい。
 峡谷が観光の対象になって,列車まで走らせようって時代があったことになる。
 この路線は川の自動車が走らないルートを両岸のなかから選択したようにおもえる。
 紹介するルートはこの路線とほとんど平行している。
 今は廃線になってしまったが,のこされた鉄橋やトンネルは,またその景色に感慨をはこんでくる。

 ルートが不明峠を越え戸山の集落から川沿いに下って,おおきな車道と交差する集落が久地になる。
 昔ここは佐伯郡伊福郷とあって,車道を太田川にくだる左手の丘の中腹に西正寺がみえる。

 ここに残る古文書に,ここ金山には金鉱があって,この坑道がくずれて千人の鉱夫がなくなったとあって,これを千人間夫と呼ぶ。
 金鉱のほか銅の産出したとされて,活況であったようだ。
 
 この一帯が早くから鍛治やたちによって開発されていることになる。そうして川をその運輸に使うことは自然なことだったのだろう。
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