走る自転車コース 宮本常一を走る --周防大島(山口)-- コース3 詳細ページ
 
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 コースリポート
 「弘法大師に関する伝説は島内ニ,三ヶ所に残っている。
 ・・島中央部のトロイデー嵩山はその山姿がかなり摂津・西宮の胄山によくにているが,甲山よりは雄大である点において誇られよう。
 甲山に神呪寺があるごとく,嵩山にもその中腹に普聞寺がある。
 ・・眺望はきわめて広く,広島湾,伊予灘を一望の中にあつめ,伊予,安芸,周防をめぐらし,石鎚山もまた東南に対している。
 この寺の境内に屹立する五間ばかりの花崗岩がある。
 その中ほどに風雨の風化作用に抵抗した石英が帯のように高くなってめぐっているので,この名,すなわち帯石がある。
 この石に南無阿弥陀仏の大文字が彫りこんであるが,これが弘法大師の筆だというのである。
 で,墨黒々と岩の面にかかれた六文字は夜になると光明を放って遠く,岩国灘,伊予灘を照らして船人たちの目標になったものだそうである。
 ところが,麓の村に住む石工がこの字が消えるのお恐れて彫り付けたとか。
 すると今まで光り輝いていた光明はそのまま消えていった,というのがこの概略である。宮本常一」


 この帯石観音へのヒルクライムがこのコースになる。
 新しい車道をすぐ下にみながら,高度があがってゆくと,すっごい眺望の中に入ることになる。

 あたらしく安下庄の東端の竜崎のできた温泉をすたーと,ゴールにしよう。
 料金が大人700円と少々割高だとは思うが,走った後の風呂はかかせない。駐車場は上下に広くある。
 岬に入る車道をもどって海岸線を西へと走る。防波堤のある港の中央にある鳥居をすぎて最初の四つ角を右に入って,登りはじめる。
 道なりに登ってゆくとすぐに集落がとぎれて車道の山道になる。次に大きな車道のオレンジロードとの交差点はまっすぐに横切る。
 池のそばからクネクネと曲りながら高度があがってゆく。次の分岐も直進する。ここにおおきなシダレ桜が一本。
 花の季節には車道まで花があふれて路面が桜吹雪にそまっている。ひとつ尾根を越すと左に帯石観音がみえ,駐車場につく。
 この間にもおおきなシダレ桜がすっくとたっている。寺へは石段が登っている。
 
 「ここは島八十八箇所の島巡りの札所で巡礼者はここまで登らされる。寺にあがる石段の上に差し出た一本の椿がある。
 かなり古いもので枝が低く垂れているから,巡礼はこの枝に同行二人の紙をくくりつけて登る。
 ところが罪を犯したものがこの下までくると,たちまち立ちすくんで動けなくなる。
 そのとき椿の枝から1匹の蛇が下りてきて,これを巻くという話がある。椿は今もあるが蛇に巻かれた話は近頃聞かない。
 さらにここの観音堂の仏像を住職が売り飛ばして酒の代にしたという。宮本常一」


 その住職はきっと蛇にまかれて,それからは蛇は人を巻かなくなったとしたら,ありがたい坊さんだとおもえるな。
 帯石のお寺をすぎると下りに入る。すぐに右への分岐がある。ここに入ると標高618mの嵩山山頂への道になる。
 すっごい登りはクライマーにはたまらん,だろうが自分には一度で結構。が,山頂からのパノラマはわすれられない展望だった。
 しっかし下りは恐かった。

 つぎに大島大橋からくるオレンジロードと交差するがここも直進して久賀にくだってゆく。
 川沿いにでると分岐はこの川をそって下るのがきっと久賀って町の印象を深めてくれるとおもう。
 町にはいったらウロウロしてみたら。町からまた八幡神社に帰りそばの大きな新しい車道をゆくと久賀歴史民俗資料館がある。
 その車道の反対側に石風呂が保存してある。

 「麦の穂が出るころになると石風呂が開かれる。一字に一つの石風呂がある。
 そこへ村人たちが集う。・・石風呂というのは普通の風呂とちがって石室である。石で中をたたんで外を土でおおう。
 はじめこの中で火を焚く。周囲の石が焼けると火を出し煙をだして藻葉を投げ込む。藻は海にあるものであるから塩分をふくんで蒸す。
 ボロボロの着物を頭からかぶってこの石室にもぐりこむ。
 その間ちいさな入口はとじておく。出てきた人たち,待つ人たちは茶を飲んだり,蚕豆をかんだり,あるいはかき餅をたべたりしながら雑談する。
 ・・藤田という集落に石風呂を焚く男がいた。その里に金持ちの尼が住んでいた。
 男はこの尼にいいよって運良くこの尼さんのお金を手に入れようと考えた。ところがそんな手にかかるような尼さんではなかった。
 ある時尼さんが体を悪くして石風呂にくることとなった。男は非道にも入口をしめたまま空けずにいた。
 その中で尼さんは殺されたとうわさになり,男はどうしたもんかお金は手に入れたが,その風呂に入るものはいなくなったという。
 ・・このようにして石風呂は草に埋もれていった。
 近年城山の石風呂が開かれたが,ここにやってくるのは老人ばかりで,老人とともに滅びてゆくだろう。宮本常一」


 石風呂の残された谷に,車道からすこし戻ると車道が登っている。
 この上り口の左に山腹の民家への道かとまどうコンクリートで舗装された古道があがっている。ここに入る。
 すぐに作業小屋のそばから山道となるのだけど,その道は古い石垣で囲まれて,一挙に石風呂のあった昔にワープさせてくれる。
 これがまた車道にでる。入ってすぐに左への道が古道となって,正面の東郷タオと呼ばれる峠にのぼってゆく。
 がこの道は峠のトップからは草にうもれてしまっている。古道と車道の分岐から左に走る。
 フラットな古道で巾もしっかりあって,快適な走行がある。この岬を大崎鼻とよばれて海岸には新しいおしゃれな別荘が点在している。
 分岐は左にとって下らない。海岸の急斜面にへばりついた民家の屋根を走っているようだ。紅の豚コースのエンディングルートと呼んでいる。
 急にいきどまって下り始める。残念だけど海岸の押し出される。
 国道を右にはいって,海産物のみやげもの屋をすぎると最初の分岐は旧道の左に飛び込む。

 海岸に平行に新しい集落の中の道はすぐに港にでる。この出たところに小さなお店があって自販機もある。ビールもある。
 お店のトイメンが擁護施設でその海岸のおくまった突き当たりにカンバンもない豆腐屋がある。
 誰かいれば豆腐一丁となって,ヤッコとビールとなるが,いつも誰もいない。すぐ前は砂浜になって呑むにはいいロケーションなんだけど。
 この港は古びた防波堤は複数に海にのびている。それをこれも古い防波堤がコの字にかこんでいる。
 大内氏の中国貿易につかった船の造船や江戸時代島内第一の造船所であったと,記憶にはあるが,はっきりと資料としてはわからない。
 この波止場をそって西にむかうと砂浜になって,学校のグラウンドにでる。そこに鳥居が見える。くぐると白鳥八幡神社とある。
 本田のならんで両側に社がある。三つの拝殿に真横から参道がはいって,その入口に鳥居がある。最初の鳥居とちょうど直角な角度にある。
 その中央に神社裏側にはいっている海に岩の上に赤い宮島と同じ鳥居が波に現れている。
 白鳥八幡の拝殿の屋根にあがった紋章は八幡の三つ巴だけど,普通とちがってひっくり返っている。
 神社浦の赤い鳥居のそばから沖の浮島への連絡船がでている。

 「浮島・ウカシマは海賊集の本拠で島とこの大島北海岸にいた海賊を浮島衆とよび,宇賀島衆と古来呼ばれていた。
 この宇賀島衆が警護し運搬していた大内氏の米を三島衆とよばれる村上海賊が強奪する事件が1151年にあり,
 以後三島衆と宇賀島衆との軋轢はつづいていたところ,大内氏の家臣陶氏と毛利氏の戦いが厳島で始まり,三島衆が毛利氏を援けるや,
 宇賀島衆は陶氏をたすけ,両者ついに最後の戦いをたたかわし,宇賀島衆の惨敗となってけりがついた。宮本常一」


 「厳島の合戦のあった1555年以後日前郷は焼き払われてしまたものの如く,
 同地の旧家の過去帳の初めに厳島の合戦の折り焼き払われたので古いことはわからぬとしるしてある。宮本常一」

 「日前の地域は早くから開発の進んだところであるにもかかわらず,権力者によって開発されるとつく人名のついたところがきわめてすくない。
 ・・ただ土居という地名はそこに勢力のあるものがいた(土居は堀でかこまれた建物という地名)ことを意味し,
 大内氏の命によって統治していた沓屋,河内山氏がいたのが実情であろう。宮本常一」

 「河内山氏はもと阿部氏,信濃よりその支族がでて駿河阿部郡に住み後周防佐賀村にすんだ。
 白鳥明神を信仰してこれを祭ったが,
 その一族のものが大内氏の被官となって日前に地を与えられて移住し白鳥明神を祭ったがのち八幡宮を合祀して白鳥八幡といった。宮本常一」


 港から埋立地のような平地に規則だだしく真っ直ぐに道がはしっている集落が土居。この東端に小さな祠がある。
 豪族の屋敷があったという名の土居はもっと山奥かもしれない。車道をこえて山際にはミカン畑のなかにちいさな池がうかんんでいた。

 国道を東に走る。岬の登りをおえるとすぐであう旧道に入る。油良の集落になる。
 お寺が旧道と新しい国道にまたがってたっているところからすこし国道を戻ると油良正八幡神社がある。
 拝殿への石段もこの島の多くある八幡神社ではいちばんふるびすぎている。境内も古風で神社として凛とは・・?。
 ここに和唐内神事がおこなわれる。神社の横からでてきた虎が暴れまわるが,和唐内(羽織はかまの人)が最後に取り押さえる。
 そんな内容だそうだ。

 「油良は良港をもち,かっては船乗りが多かった。しかし不思議に田舎びたところである。宮本常一」

 田舎びたって意味ここに来るとわかるかも!。
 神社をすぎて二つ目の交差点を左にはいる。ちいさな丘を越えると鹿家・シシノヤの集落にくだってゆく。

 「鹿家,土居の上辺り,日前から安下庄へ越える道,4キロメートルくらいの長さにわたって弥生式土器の分布地になっています。
 ・・その辺りの山を歩いているとき,うすい赤味をおびた土器や瓦の破片をみつけたら大事にしておいてほしい。宮本常一」

 「鹿家の集落の西はずれに小学校の分校があった。
 安下庄の学校へ一年生や二年生を通学させるのはかわいそうだというので,先生が一人いて子供達を教えていた。
 のどかといえば実にのどかであった。ここらは段々畑のよく発達したところで,みかんが植えられたものが多いが,
 もとは畑は冬から春にかけては麦,夏から秋にかけてはサツマイモが植えられていた。
 こういう畑をシラバタケといった。畠の字がピッタリするような畑である。
 ・・その畑の開墾はきわめて古く,そのほとんどが中世にさかのぼるものとみられる。宮本常一」


 海岸にでて車道を左にはいると切り立った立岩がある。そこから少し登り下った最初の左への小路がスタートした竜崎温泉に入っている。
 石風呂はもうないが,ここも潮湯で,椋野の長浦スポーツスクエアーの風呂も潮風呂がある。潮風呂がここでは正規なトラッドなんだろうな。
リポート・走った人 サイクルフォーラム マネージャー 土井 小七郎
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