走る自転車コース 宮本常一を走る --周防大島(山口)-- 全島120kmコース 詳細ページ
 
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 コースリポート
 「その日,母は丘の上の麦畑の中耕にでかけた。南風がそよそよと吹いて,晴れたよい日であった。
 ・・妻の母の私の家に来ていて,婆さん二人が畑の中で働いていた。
 すっかり仕事をすませて畑の畦まで出てきた時,母はどうした拍子にか麦の上に座った。そして立てなくなって横になった。
 ・・そのあたりの人が心配して戸板を持って来て母をのせ,・・医者にみせると脳出血とのことで,・・私が帰ってきたときまだ息はあったが,
 意識は不明であった。そしてその夜息をひきとった。生涯苦労の多い人であった。しかしふるさとの自然と人間の中にしっかりと生きてきた。
 ・・生涯働きつづけ,他人にたいした迷惑もかけず,好きな景色の中で大して苦しみもせず,心あたたかい人々に送られて死んでいったのである。
 おそらく思い残すこともなかったであろう。宮本常一・わたしの日本地図,周防大島」


 この本にであったのはちょうど私の母がなくなったころだった。病院で急に様態がかわり最後にはまにあわなかった。
 そんな気分の心に,ただのガイドブックのような書名にかかわらず,母の死去を巻頭にいれる宮本常一という人柄が,心にしみてきた。
 シリーズに私の日本地図,広島湾付近があって,これを片手に自転車で走り出した。いつかそんな時間もなくなって,わすれてしまっていた。
 
 新聞に宮本常一のふるさとでその記念館ができそうだと知って,周防大島を訪れたくなった。常一さんのお母さんの麦畑に立ちたかった。
 そう思って,もう二十数年がすぎさっていたことが不思議なくらい強くおもえた。
 一方,年を重ねると自分はダレ,どこから来たの?なんて考えるのだそうだが,

 「私たちの住んでる所や,ふるさとがどのように成り立ているかということを,できるだけ明らかにしてみたいと思いました。
 ところが昔のことは,書き残されたものがほとんどありませんから,記録だけだはわかりません。
 また,ほろびたところを掘り起こしただけでも解決がつきません。
 けっきょく,口でいいつたえられたたことと,今,おこなわれているならわしのなかにきっと古いことがのこっているにちがいないから,
 それには,自分の住んでいるところをよくしらべ,また近所とくらべてゆかねばなりません。
 同時にそれに関係のある書き物をよまねばなりません。けれども,なによりも大切なのは歩いてみることです。
 歩いてみないと,その実感がともってきません。実感はたいへん役立ちます。宮本常一」


 と全国をあるきつづけた常一さんを,まったくもって,ガイドさんにして,ダレ・ドコ探しに,走り始めることにした。

 が,その教えにも関わらず,歩くのではなく自転車という道具を使うという暴挙でも,いくぶんの感慨をもたせてもらった。
 あの麦畑はミカンにかわっていたが,風はここちよかった。そばの石仏がどうしてか微笑んでみえた。
 ただ自転車は止まりたくないという気分にのさせることがあって,いつか通して島一周をはたしたいともおもっている。
 そのコースは島の年季が重なり合った古道や旧道をめぐることしかない。120kmほど!!じゃないか!。
 またニ十数年後。ってほどには,自分の時間のこってないのだけど。
 (コースプロフィールは大島へ渡ってオレンジロードからの古道を起点にしています。スタートゴールは安下庄の竜崎温泉がどうでしょう。
 時計の逆回りに,まず源明峠を元気なうちに)
 
 ガイドにした宮本常一著作。
 瀬戸内海の研究,著作集40-周防大島民俗誌,著作集41-郷土の歴史,ふるさとの生活,日本民衆史3海に生きる人びと,
 風土記日本2中国・四国編,日本文化の形成,私の日本地図・瀬戸内海3周防大島
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リポート・走った人 サイクルフォーラム マネージャー 土井 小七郎
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