〒730-0805 広島県広島市中区十日市町1-4-18-1F 
                                                                   TEL(082)292-0520 FAX(082)292-0521 アクセスマップへ
                                                                   E-Mailアドレス (代表)  doi@cyclesforum.net
                                                                   営業時間 
                                                                   平日・土曜AM10:00〜PM8:00 日・祝日 AM10:00〜PM7:00 
                                                                   (修理等で急を要す場合は時間をご用意しますので御連絡を!)
                                                                   毎週 水曜日定休(祝日は営業・振替ナシ) 
                                                                   年末・年始/お盆期 3日程度 休業
≫index ≫course>city san-sou.indx
HIROSHIMA CITY
散走
自転車で散歩、で 散走。
フラリとでかけませんか。
仁保島 散走 
 広島市南区の黄金山は、昔には広島湾に浮かぶ仁保島と呼ばれた。江戸時代 広島藩の藩主・浅野家と対馬の領主・宗家との間で婚姻があり、両家は親戚関係となった。1815年ごろの話である。このとき対馬へ藩から派遣された船の船頭が向洋の漁師だった。彼らが対馬の漁場が豊かなことに気づき、対馬への入漁を願い出て許可され、仁保島、横浜(坂町)などの人々が対馬へ出かけたという。
仁保島が陸続きとなった今、そのころの島だった痕跡が、黄金山を周回する小道にあるように思える。道はそのころの海岸線にそってつくられた、と想像してみる。こみいった路地は、自動車の侵入を拒絶していて、昔のままの道だと主張している。どこも漁村の路地はせまい。だからそこには、なつかしい時間がとどまって、そこにいると、ふと対馬へ漁にでかけた人々のたたずまいを感じる。ここには、今も漁船が係留される港がある。
昔の時間がとどまったことは、原爆に被爆しながら残った被爆建物が残ることにも現れる。広島市がリストにあげた約百件の被爆建物のうち、仁保島とおもわれる地域に十件がある。すべて木造建物である。それらほとんどが、寺社であって、訪れるとすっかり風雪にさらされているが、それも爆風の圧力にくらべれば、どうってことないようにたたずんでいるのだ。
このように、時間が重層にのこっる場所は、広島市内ではたくさんはみつからない。住宅はあたらしく住みやすく作り変えられていても、道のありようや信仰の形は、住みつづける人々によって、そのままの姿をとどめることを発見する場所だ。破壊のあとの復興の広島の時間のなかで、家屋を失わなかったという事実によって、それをすこし斜めに見てきたところかもしれない。が、復興のなかで失った、なにかなつかしさを今漂わせて、それを見てきてくれたように、焼け残った寺社に感じる。
先日、火災により消失した邇保姫神社は、鎮座されていた丘を崩し、あたらしく土台から再建されている。この道にどのように神社は新しい姿で現れるのか、なぜ新しい形をここの人々は求めたのか。重層の時間に新しい時間をかさねる人々に、昔対馬へ進出した心意気を感じる道になりそうだ。

オレンジの○が被爆建物です
 
土塀がある坂
 
お寺への案内地蔵
   
海岸の記憶
   
   
   
   
   
   
   
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
早朝の笛・太鼓
         丹那の穴神社の秋祭は10月第二日曜日
         早朝、住宅街に獅子舞がとびでて、家々の扉をたたきます。進入して獅子が舞うことが喜びの様子。お払い
         してもらったと、話されています。横笛の音が朝日がおこす風に舞います。若者はゆかた姿。すがしい風です。