ピックアップ 走る自転車コースリポート--海田−瀬野−志和−深川周回(広島市から)--編
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 ■リポート
 西国街道から古代の条里制・志和の痕跡を走る。


安芸の国として中央が指定して記録にあるのは「国造本紀」に734年・天平6年に記載されている。延喜式というそのころの記録集には安芸国は沼田・賀茂・安芸・佐伯・山県・高宮・高田・豊田の八郡を書き残している。
その時代に条里制が整備されていたようで,四角形に田畑を整備したもので今の地図でもその形態がわかりやすい。これはこの中国地方では海岸地帯では10メートルの等高線以上の場所で,山間地域では夏の平均気温が20度C
を限度に展開している。条里制を実行したのは古墳時代からの地域の中心をなす河川地域で,舟船や牛馬の通行可能なところであった。(芸備両国の条里制の遺構・佐々木卓也より)
田畑を四角に区分するという古代ではとてつもない作業がいまに残っている東広島市志和町へ西国街道をはしり,瀬野で国道をまたぐあたらしい陸橋をとって北進すると榎山峠にとりつく。ふるくからの道でくねくねとのぼっている。

西国街道は広島駅北口から府中への車道をとって,船越へののぼりからになる。ここから瀬野まではみちなりに瀬野川の流れを俯瞰しながらたどればよい。車両の離合もむつかしい巾の道は,自転車にははしりやすい。
榎山峠をこえるとすぐ下に山陽自動車道がみえる。が,そこへのトンネルにむかわず右の旧道をくだってゆく。つきあたりのトンネルをにけると道は北西に直進しているが,このつきあたりをトンネルと逆にのぼって次の三叉路
を左にはいると六条八幡神社の祠がある。条里制のここでは六条の東北方向への起点になっている場所が神社としてのこっている。ここを下ってトンネルを抜け分岐は左にとってでるT字路を右にはしる。気分がのっていたら
インターチェンジの横やインターチェンジへ入る車道の東の山の斜面の神社にあがって,この集落をみてみたらどうだろうか。土地計画の古代の基準点が神社という,その気分がつたわってくるかも?
ぶらぶらが終ると旧道の長い直線路を東にはしって山陽道。志和インターから向原への車道の交差点を左にはしり,川にあたる地点で橋をわたり山麓をたどってゆく。ここに大宮八幡神社がある。ここから西にやはり山麓をたどると分岐があり,これを右ののぼり
すこしくだって西へとたどる。ここに馬宿馬神社がある。「伝説では坂上田村磨がこの地を開いたとされるが,征夷大将軍として獲得した夷をここに移転し,その出生地の陸奥国・斯波郡シワグンの名を命名したのかもしれない」
「馬宿は安駄山・高鉢山の背景とした古代牧場跡とも考えられ,・・」とある。古代関東から東北は馬の生産地としてあった。
この馬宿馬神社とさきほどの大宮神社を結ぶ線は東の金明山の山頂とをむすんだ直線上にあり,別府にある峰にあたる,この峰から西国街道の難所の大山峠とを結ぶ線と直角にまじわっている。これが条里制の基本線
と考えられているようだ。これを横軸とすると縦軸は志和インターの南の斜面にある六条八幡神社や宮迫にある貞岡八幡神社が条里の縦軸のめもりになっている。雄大な設計図の元に条里制が施工されているようだ。

走るコースは古道を山麓に走って,車道にでると右に。小野池へののぼりにかかる。池をすぎて湯坂峠をくだると,急坂がつづらにつづく。おおきな送電線の鉄塔のある分岐を右にとると車道にでる。
これを左にとって,すぐの旧道にはいって,また車道におしだされる。川をわたると右にはいってそのまま川岸をはしる。中深川にはいっている。ひたすら川沿いをたどるとおおきく左に旋回するようになってたどった三篠川が
大田川本流に合流する。ここからも川沿いに南下する。
高瀬堰の上に右にはいって分かり終えると左の川沿いにくだってゆく。安芸大橋の歩行者専用橋をわたる。ここから川沿いにくだる。自転車・歩行者専用路がテレビ局の手前までつづく。橋の手前で左に国道をわたりそのまま川をたどる。
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